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March 14, 2011

東北関東大地震にさいして

東北・関東地域に大地震が起こりました。被災された方々に、心からお見舞い申し上げます。一人でも救助されますように。一日も早く、ふつうの暮らしが戻るよう、祈っています。

地震時、私は東京にいました。出張先で大きな揺れを感じました。後に、それは震度5だったことがわかります。今まで経験した中で、もっとも大きな地震です。横揺れでした。地面がぐにゃぐにゃ曲がっているような、不気味な揺れでした。今にも本棚が倒れそうでした。建物は鉄筋で、2階建ての2階にいましたので、比較的安全だということはわかりましたが、本当に怖かったです。

1回目の大きな揺れのあとに、何度も何度も揺れました。中には大きなものも2回ほどあって、まさに三つの場所の別々の地震が起き、東京に余波をもたらしていたことを、2日後に報道で知りました。

この週は、出張連続9日間、熱海、東京、和歌山と行脚する予定で、東京最終日だったので大阪に移動・宿泊する予定でした。しかし電車が次々に不通になっていきます。ああ、もう大阪は無理だと思い、急いでホテルにキャンセルの電話をいれました。天変地異なので、キャンセル代は取られません。

携帯は、直後は通じましたが、すぐに通じなくなりました。たまに有線回線の電話は使うことが出来ました。パソコン用に借りたフォーマのモバイルパソコン用の機器も使えません。そんななか、インターネットは生きていたので、ワイマックスは問題なくスムーズに動き、パソコンを通じて東京在住の友人とアメリカの姉にに連絡を取ることが出来ました。老齢の親はメールが使えませんので。姉を通じ、名古屋の実家の両親に連絡をしてもらいました。

このことから得た教訓です。災害の本当に直後に家族には電話を入れておくこと。そして、情報アクセスの手段は、複数持っておくこと。情報アクセス能力も磨いておくこと。それがないと、災害時には本当の弱者になってしまいます。生死を分けるといっても過言ではないでしょう。あるいは、もっと軽い意味では、災害の不便なときに、少しでも快適さを手に入れられるかどうかを決定すると思います。友人の話では、年配の女性が警察官に、どこか泊まることろはないかと食い下がっていたということですが、それは無理でしょう。携帯なり、人づてなり、自分の力で情報を集める必要がある。できることなら、帰れないとわかれば、早い判断をして、宿泊場所を確保するべきです。同僚たちはすぐに探したのですが、見つかりませんでしたので、とにかく早い行動が重要なんだと思います。

私は幸運にも、歩いていける距離に友人が住んでおり、彼女がパソコンが使える環境にいたので、すぐにフェイスブックとミクシーで連絡を取ることが出来、家においでと言ってもらえました。もし彼女が家に帰れない距離にいれば、私は職場で夜明かしをしたでしょう。しかし、東京では帰宅難民が何十万もでて、駅や学校でふとんも食料もない夜を明かしたのですから、たとえ職場であってもマシなほうでした。

テレビでは次々に街や田畑が津波に襲われる映像が流れてきます。走っている車を飲み込んだ映像もありました。胸がはりさけそうでした。大変なことになりました。余震もまだまだ続いており、恐怖でいっぱいでした。

友人宅に行くための手段ですが、タクシーは捕まりません。職場の車がシャトル輸送をしてくれるのを待っていたのですが、一向に戻ってきません。このころには、電車が完全に止まり、すでに大渋滞が始まっていたのです。そのうち、同僚たちがコンビニで食料を調達してきました。ありがたいことです。あんな地震の後ですから、外に出るのはとても怖いことです。こういうとき、勇敢で冷静な男性は、すばらしいと思います。同僚には、何人もそういう人がいました。

車は相変わらず戻ってきません。そのうち、同僚が、徒歩で送るよと申し出てくれました。30分以上かかるところです。とても寒い夜でした。それから私も、私もと、ついに3人の男性が一緒に送ると言ってくれました。退屈だから、散歩がてら、何か食べにいくよと。本当にうれしかった。私はこんなふうに、他人に親切にできるだろうか。あの状況で外に出るのは、勇気が要ります。外はすでに徒歩帰宅の人波であふれていて、無事たどりつけるのか、想像ができなかった。でも土地勘のある男性3人が一緒なら、心強い。しかも、私のキャリーバッグを引いてくれたのです。安物なので、引きにくかったでしょう。でも文句ひとついわず、最後まで無事、荷物ともども送り届けてくれました。

友人宅に着きました。携帯が相変わらず使えないので、公衆電話に並び、順番を待ちます。こんなときに、世間話をしてなかなか順番をかわってくれない人もいましたが、奇跡的に携帯がつながり、暖かい友人宅に迎えられました。それから食事をして、お風呂に入り、清潔な寝床に寝かせてもらいました。

翌日、朝4時に、エリアメールで余震の警戒情報が入りました。6時にも、もう一度。私はすっかり目が覚めてしまって、友達を起こし、朝一で帰るべきかをたずねました。すると、友人は、朝一はかえって昨日帰宅できなかった人が殺到するのでは、ということだったので、おとなしくゆっくりとさせてもらうことにしました。東京のことは東京の人の言うことに従うべきでしょう。それが幸いして、翌日、ちゃんと携帯でチケットを予約し、スムーズに復旧した電車に乗り、かえって来ました。品川駅には見たことのないほどの人が並んでいます。今日ほど、インターネット予約の会員であることを良かったと思ったことはありません。ポイントがたまっていたので、指定が取れなくてグリーンで帰りました。おかげでぐっすりと眠ることが出来、疲れも少し取れました。

今思い出しても、たくさんの人の助けと親切に、胸が熱くなります。そして、悲惨な被災地の状況に、涙が出ます。こんなにも、災害が自分のものとして感じられることは、ありませんでした。心からの親切に触れ、勇気に助けられ、親切に救われ、生きていることを実感しました。こんななか、家族や親しい人の安否もわからない人が数え切れないほどいると思うと、胸が締め付けられるような思いです。少しでも助けになれることをしたいと思います。

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